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メンタリストDaiGoさんの炎上騒動について

 もしあまり詳しくない方がおられたら、生活保護受給者やホームレスをディスって炎上した箇所を、過不足なく切り取った動画が以下です。

 ポイントとしては彼の発言の主旨は(DaiGoさんの発言ほぼそのまま引用)
「生活保護の人達にお金を払う為に税金払ってるのではない。」
「僕は生活保護の人々を食わせるカネがあるなら、猫を救って欲しいと思う。」
「生活保護の人々が生きていても僕は得しないが、猫は生きていれば僕は得する。」

 ホームレスの方々については、端折る為に僕自身がまとめます。
 DaiGoさんはホームレス(や恐らく生活保護受給者)の命より猫の命の方がずっと重いと考えているようです(あくまでDaiGoさん自身は)。何ならホームレスは死んでも何とも思わないけど、猫は凄く悲しい。
 更にホームレスへの炊き出しは批判されないのに、猫への餌付けは何で批判されるのかとも疑問を呈しています。更にここでホームレスと猫を同列に論じるのは猫に失礼とまで仰ってます。
 DaiGoさんにとってはその位の差があるようです。

 僕が最初に思ったのは「このネタ別にホームレスや生活保護じゃなくても良く無い?」という事です。別に彼らを出したから面白くなる訳では無いし、それ以外の比喩が無い筈がないですから。
 例えば「政治家を養う為に税金払ってるんじゃない」「政治家の命より猫の命の方が重い」位なら誰にも批判されて無かった気がします。
 この程度の事はDaiGoさんも重々承知な筈でしょうから、それでも敢えて彼らを引き合いに出すのは恐らくホームレスや生活保護受給者に反感を感じてるのだと思います。
 
 ここで二点ポイントがあって、ホームレスに反感があったとしても、それを敢えて公表する意味があるのか。意味があるから公にするのだとしたら、それは世にホームレスに対して自分と同じ意見を広めようという事ではないのか。
 もう一点はDaiGoさんご自身の要らない人々の優先順位が(利権屋)政治家や反社より、生活保護受給者やホームレスの方々という事になります。

 多分ホームレスに対する反感を公表したのは、何かの意図は無いとは思います。思わず感情的になって本音が漏れてしまった類かと。
 僕はDaiGoさんの動画はそこそこ視てる方だと思いますが、感情的に不安定で時に攻撃的になる事が多いなという印象を持っていました。これは実はホリエモンなんかにもあるのですが、それより遥かに不安定です。
 なので何れ足をすくわれるかなと心配しておりましたが、両者共そういう事になってしまいました。

 DaiGoさんが税金の使われ先の不満に、真っ先に生活保護受給者を持ち出して来たのは個人的には非常に残念ではありました。
 まず政治家一人にかかるコストは議員報酬だけでも凄いのですが、公設秘書経費や政党助成金だとかも合わせると数千万円です。正直それだけの仕事をしてると思えない人々が多いと思います。
 それだけならまだしも、政治家が利権で得る業界からのキックバックは社会的な利便性や生産性を犠牲にして得る類のものですが、それらの機会損失やコスト高で数千億円レベル(かもっと)の負担を日本国民は背負わされています。その点では天下り確保の為の規制維持をしている官僚も同様です。これは費用ではなく完全な収奪です。
 だから理性的に公正に考える能力があれば、税金の使われ先の優先順位の先頭に生活保護受給者が来るのはあり得ないと思います。ここで例として政治家の話を出しましたが、税金でいえばもっと要らないコストは当然あるのは断っておきます。

 DaiGoさんもホリエモンも為になる発言をしてると思いますし、間違い無く優秀な部類な方々だと思いますが、品格という意味では決して下の方ではありませんがまあ普通レベルだと思います。
 だから支持している若い方々も、そういう所も含めて評価の対象にして欲しいとは思います。
 多分社会人ならば皆賛同して頂けると思いますが、人間性は能力と同じ位重要です。裏切られて大損失を被った話も良く聞くので、寧ろ能力以上に大切な位なものです。
 個人的にはDaiGoさんもホリエモンも、こちら側が彼らの意見から距離を置いた方が良さそうな類の人物だと考えています。
 
 しかし上記の話は今回の炎上騒動の本質ではないんです。

 勘の良い方々は僕が政治家を引き合いに出した時点で気付かれたかもしれませんが、もし政治家を非難しても炎上しないとすれば、暗に「政治家>生活保護受給者」という図式を認めてるという事ですよね?
 つまり敷衍すればDaiGoさんを非難して炎上させている方々も「生活保護受給者は身分が低い」という認識を持ってるから、DaiGoさんを攻撃しているのではないでしょうか。
 「何かを非難するという事はそれ自体を支持してる事になる」場合の典型みたいなケースですが炎上商法なら兎も角、生活保護受給者の立場を更に悪くするような事は個人的には止めて頂きたいなと思っています。

 それでも生活保護受給者の中には後ろめたさを有している方々もおられるかと思います。  
 もしそういう事があるならば、DaiGoさんを非難するというのは上述の如く寧ろ逆効果だけでなく筋違いであって、「DaiGoが何か言っていても気にする必要はない、あなた方は人として当然の権利を行使しているだけです。」と彼らに伝えるべきなのです。この件はそういう話です。
 
 しかし当の生活保護受給者が別に後ろめたさが無い場合、例えば「気にすんなよ」という励ましの言葉って何なら見下されてると感じるかもしれません。
 これは僕自身にも誤解してしまう場合があり、相手がピンチだと感じて無いのに励ましの言葉をかけるのって嫌だろうなと最近思った事がありました。
 特に僕自身に当てはめると、例えば凄く惨めな状況な時に「大変だね」とか言われるのって「やっぱそう見えてるのか」なんて思って余計に落ち込むかもしれません。
 
 そういうのって難しいと思われますか? 
 そう思われる方々って凄く多い気がしてます。
 例えば今回の場合は批判しても駄目、励ますのも駄目ですし。
 個人的には「だからこそ面白い」と考えています。
 相手の客観的な状況を把握してないといけないですし、更に同じ条件でも同じ事を考えてるとは限りません。最後は相手の性格まで分析して心を読まないといけない。
 そういうのが皆好きだから「人狼」なんてゲームが流行るんです。
 如何でしょうかね。皆さま人生を楽しめてるでしょうか。

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