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自我の肥大はヤル気を喪失する

  割と最近ですがYouTubeでキックボクサーの那須川天心選手と元ボクサーのメイウェザー選手の非公式戦を拝見する機会がありました。
 メイ選手はスーパーウエルター級(約70㌔)で那須川選手はフェザー級(約57㌔)で、格闘技の世界ではこの体重差だけでも大人と子供位違うそうですが(実際ガードした上からパンチ受けて飛ばされてました)、そもそもメイ選手はプロ50戦無敗の多分他に為した人が居ない位の超強豪選手です。

 試合は無論那須川選手が負けたのですが、死ぬ程悔しそうにしてるのですね。
 
 那須川選手にしてみれば、上記の如く幾らでも言い訳出来る材料があるのです。自分の心を守る事が出来る。が、あんなに不利な戦いで、彼は受け止めなくても良い敗北を真っ向から引き受けたのです。
 
 これを視て感じたのは、寧ろ自ら引き受けないといけない事からすら多くの人々は逃げていないのか?という事です。自らの否を認めない、自分の欠点を認めない、自分の実力の無さを認めない等々です。
 その動機は「プライドが傷つくのを恐れる」「恥をかくのを恐れる」「心が傷つくのを恐れる」という事です。
 上記の如く認めない尽くしですから、結果として「自分が一番正しい」という態度に繋がります。実力が無い人に限ってやたらプライドが高かったり尊大だったりするのはこの為です。
 本人は夢にも「自分が一番正しい」なんて思ってません。寧ろ無能な自分をただ守ってるだけだと無意識ですがそう理解しています。弱者である自分を守るのは当然の権利なのです。

 この態度を継続し続けるのを僕は「自我の肥大」と呼んでいます。子供ほど自我の肥大は少ないです。子供は自分が悪くない事まで全部受けてしまう。素晴らしく謙虚です。年齢を重ねる程自我の肥大が進行して、殆どの大人が大なり小なり自我の肥大化傾向が見受けられます。
 いつも思うのですが、殆どの大人より子供の方が余程存在として優れてると思います。自我の肥大化した大人が子供に色々押し付けるのは悪影響しか無いと思います。
 
 自我の肥大は単に自分の心を守ろうとするだけでなく、人生経験上から生じる場合も多々あります。

 とある女性が仰っておられた事ですが、子供の頃は小説やアニメや映画等の影響で超常現象を信じてたのですが、大人になってそんな事は存在しないと思うようになったそうです。
 しかしそれはあくまでその女性自身の人生経験に過ぎないです。それを一般化して「存在しない」と断定するのはちょっと傲慢ではないでしょうか。
 例えば他の人は少数であっても超常現象に遭ってるとします。そういう人の存在を恐らく上記女性の立場からすると「嘘つき」と断定せざるを得なくなります。
 
 因みにこの女性は中年の女医さんです。国立医学部卒のエリートでも自我の肥大は避けられません。残念ながら大部分の大人は更に自我の肥大が酷いだろうと見做して良いかと思います。
 無論上記の女性は微塵も他人の事を「嘘つき」だなど思っていないでしょう。ただそれは意識しない気付かないというだけの事です。
 他人の言う事を取り合えずでも受け入れないというのは突き詰めるとそうなります。「人同士分かり合えない」というのは、自分自身が他人を「嘘つき」や「思い込み」だと決めつけている事に鈍感だからです。
 
 自分には経験が無かったりそうは思わなかったとしても、取り合えず相手の主張を認めてそれを吟味してみるのを「相対化」といいます。
 相対化というのは相手の主張を信じる事ではありません。この場合の信じるというのは自分勝手な思い込みに過ぎません。相対化というのは自分の経験が無くとも自分とは意見が違っても相手を理解するという事です。信じるよりずっと深い。
 だから子供の純粋さ等は所詮子供の純粋さです。大人の純粋さとはしっかり自分を持った上での相対化です。これが出来ている貴女はブスでも美しいです。
 
 
 タイトルとは外れますが、寧ろここからが今回記事の本題です。
 
 自我の肥大が起きる理由は上に書きましたがもう一つあります。
 例えば親が子供に対して(躾外の部分で)色々難癖をつけたりとか他人からの「攻撃」です。自我の肥大は攻撃から自分の心を守らないといけない防御反応がその本質だからです。        
 親が子供に対してどのような事由であれ怒りを露わにする環境で育った子ほど攻撃的になる場合が多いです。

 その攻撃の仕組みは「心のシールド」による自動反撃機構です。シールドが厚いほど他人からの意見を聞かなくなります。だから自分に対する批判が正しかろうか間違いだろうが関係無く反撃します。
 もし明らかに他人に迷惑をかけていたり、法律に違反していなくとも他人の心を著しく傷つけてしまってその批判を受けた場合、それでも自分を守ろうと反撃したらどうなりますか?という事になります。
 更にこれを敷衍する場合も少なくなく、単に自分が面倒臭いことや自分が不快な事まで「反撃」し出す人もいます。もはやこの次元ですと完全に「攻撃」なのですが、当人はあくまで反撃であり身を守るのは当然の権利だと考えています。
 
 上記では解り易くする為に極端な例にしていますが、自分の心だけを防衛するのは必然的に他者を攻撃する事になるシステムはご理解頂けたでしょうか。

 僕自身が色々な人を見ていて思うのは、「自我の肥大」と「物事に対する意欲(ヤル気)」はトレードオフなのではないかという事です。
 
 意欲というのは単なるオタク趣味という意味ではなく、物事に対して真剣に向き合い精進していくイメージです。それは仕事だけでなく趣味であっても同様です。例えば将棋や囲碁に取り組み勉強と研究を重ね、より棋力を向上させて行くみたいな事です。
 
 なぜ上記のようなトレードオフが言えるのかといいますと、物事と真剣に向き合う時には自我ほど邪魔なものは無いからです。特に将棋などの勝負事が解り易いのですが、負けたらどんな自己正当化(自己防衛)しても無効です。素直に負けを認めて自責自問する、つまり心のシールドを外さないと棋力は上がりません。
 
 だから

 自分が傷ついてこそ向上心が生まれる
 
 と僕は思っています。「夢を追う」みたいな綺麗事だけでヤル気なんか出ません。もし夢で向上心が生まれたのなら、多分その過程での失敗や挫折経験からだと思います。

 更に「自我の肥大≒心のシールド≒感性の鈍化」となります。ヤル気は知性の結果ではなく感性の結果です。年齢を重ねるほど自我の肥大が進んで行きます。一般にオジサンと話して面白くないのはこの為です。色んな事を感じて、それに基づいて考えて、話というのは面白くなっていくからです。
 
 そういう訳で僕は自分の心をノーガードにしています。まだまだ足りない部分もあるので、今後も心のシールドゼロを目指して頑張って行くのを保証します。
 「なぜ自分はこんな小さな事で傷ついてしまうのだろう」等自分の心に不自由さを感じてる方もいらっしゃると思います。それ凄く良いです。
 
 しかし心の場合も「柔よく剛を制す」というのが在り得ると考えています。心をシールドするよりノーガードで攻撃をかわした方がトータルのダメージは少ないのではないかと。
 これは心理学の本でもそう書いてあるのですが、ガチガチの自我モンスターが崩れるのを幾らか拝見した事があるからです。
 例えば職を失うとか妻に逃げられるとか、もう言い訳しようの無い現実に直面した時、自我を守り切れないからだと思います。

 僕自身はそのかわし方は以下の本で学びました。

EQ こころの知能指数
www.amazon.co.jp/dp/4062562928

メンタルタフネス
www.amazon.co.jp/dp/B01N6Z6HWC
 
 EQは論証部分は読まなくて良いです(無論興味があれば是非どうぞ)。EQの説明と具体的にどう心を置いた方が良いのかの具体例が役立ちます。メンタルタフネスは同じ作者が同じタイトルで他にも書いてますが上記のが一番良いです。分厚いヤツはやはり学術的な論証が大半ですので実戦的ではありません。

 但し自分の成長の為の本を読む場合には何度も読んで下さい。勉強と同じで反復演習しないと身に付かないからです。
 本の内容が実際の自分の行動や思考に反映して来るのは、通しで7回転です。後は部分読みを重ねて強化していきます。個人差があるので明らかにそれまでの思考と違うと意識出来るまで読み込むのをお勧めします。

 僕自身は割と具体的に書いてある上記のような本でも直接役に立つ事は少なかったです。役に立つのはあくまで「考え方や捉え方を工夫する」という部分で、本に書いてない内容を自分で考えて開発しています。現在でも引き出しは増加中です。
 
 例えば上記の「自己防衛することが他人を攻撃する」という分析もその一環です。自分が他者から理不尽な攻撃を受けた場合でも、システムを理解していれば真に受ける事は少なくなります。
 このようにノーガードな分、放っておくと直撃を喰らうので、常にかわしながら生きて行かないといけない部分が自我肥大よりずっと大変な部分です。
 つまり常に考えながら生きて行かないといけなくなりますが、それがその人を面白くしていく事でもあるというのは上記した通りです。

 多分多くの人は意識しないと自我の肥大は避けられません。今回の内容を読んで、どんどん心のシールドを剥がして行く仲間が増えれば良いなと思っています。

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